ブログという名のバタフライエフェクト

ブログをはじめて数日経ち、だんだん「ウケ」を狙おうという姿勢になっている自分にゲンナリする。読んでもらえたら嬉しいし、反応があったらさらに嬉しい。けど、それを目的にしてしまうとハンドル操作を誤りがちになる。私の場合。

 

かといって、自分の書きたいことというのが無限に湧いてくるわけでもなく。
別に書くことないなあ、とりとめのないことしか出てこないなあ、なんて日もある。
こんな文章だれが読むのか?とも思うが。
まあべつにブログだし、という気持ちもあり。

 

私がここで色々書いてても世界は変わらない。
あるいは変わるかもしれないけれど、微々たるもので。
その微々たるものがやがて大きな変化になる可能性はありつつ。
まあ、あんまり気にしてもしょうがない。

 

なるべく毎日ブログを書こうとは思っている。というのも、毎日書くほうが楽だからです。ネタがあるときだけ、となるとネタの取捨選択をしはじめて逆に面倒になるので、ネタがあろうがなかろうが毎日書くの!今日はこれしかネタがないの!ってある種の見切りをつけながらのほうが楽。書くことに対して謎の強制力が働く。

 

ブログは100記事書いてからがスタート。
という言葉をむかしどこかで見かけたけど、これはまだ有効なんだろうか。
しかしながら、なんのスタートなんだろうね。マネタイズ?

 

さて、今日も一日、たのしく過ごしましょう。

 

自分を大切に。

発達障害者が困らない生活を送るために

私は漫画家ですけども、就労支援B型事業所にも通っています。
在宅ワークの形態なので実際にほとんど通所はしていないのですが。

 

私には発達障害があります。ASD自閉症スペクトラム障害アスペルガー症候群、広汎性発達障害など呼び方は色々ありますが、そういう感じのやつです。
25歳のときに診断されました。

 

普段は自分の発達障害を自覚することって、あんまりないです。
というのも「困らないような生活をしているから」です。
つまり、困るような場面を作らない。

 

私にとって困る場面というのは、一般的な労働の場面でした。
仕事のある日は毎日職場に通って、職場の人たちとコミュニケーションを取りながら仕事をして、同時に家事や身づくろいなどの生活も行って……というのはあまりにも苦手すぎました。多くの人たちがふつうに行っているがゆえに、出来ないのは自分が努力してないからだ根性がないからだと思い一生懸命に取り組みましたが、どうにもだめ。

 

職場に通う、連日家の外に出るというのは体力的にキツかったですし、職場の人たちとのコミュニケーションも大変でした。私の何かが気に障るんでしょうね。攻撃されることも間々ありました。そうでなくても、気を遣いすぎて疲れすぎてしまうという問題もありました。

 

なので、働くのをやめました。
通所型の就労支援事業所も同じことだったのでこれもやめました。

 

そして漫画を描いてました。
障害者年金を受給してましたし、働いているパートナーもいたので生活はできたのが幸いしました。私は心に決めていました。もうぜっっったいにふつうに働かないぞと。

 

そのうち、書籍を出版することになり、漫画家と呼ばれるようになってました。

 

現在、漫画家として活動しつつ、在宅ワーク型の就労支援事業所に所属してぼちぼち働いています。生活がこうなってくると、困る場面というのはあんまりなくなってきますね。理解してくれる人たちが周りにいっぱいいる状況になるので、無茶な要求をされることもなく。あと「漫画家」ってなんかちょっと突飛だったり変な行動をしてても「漫画家だからね」と寛容な目で見てもらえる風潮ないですか?(あるよね?)それを言い訳にして傍若無人に振る舞おうってわけじゃないですが、多少ゆるい雰囲気があるというのは緊張しないので助かります。ありがたい。

 

というようなことをつらつらと書きましたが。
言いたいことは「適応できる場所を探そう」ってことです。

 

特に発達障害者は、適応できる場所がピンポイントだったりするので世の中の「ふつう」に従っていると高確率で不適応を起こします。世の中の「ふつう」に惑わされずに自己分析をして、自分に合う場所を探してください。
そこで必要になってくるのは「人に何を言われようが、迷惑をかけようが、自分にとって居心地のいい場所を自分で探すんだ」という覚悟です。他の誰も探してくれません。自分が自分のために、自分に合う場所を、自分で探すんです。

 

その覚悟があれば、大丈夫。見つかります。

 

自分を大切に。

 

津島つしま

マンガを描く方法とはつまり神降臨を待つこと

マンガの描き方を言語化するのは難しい。
手順を並べることだったらできます。
プロット→ネーム→下描き→ペン入れ→トーン・仕上げ……とかね。

 

でもそれって描き方とは違うと思いますし、「マンガを描きたいけど描けない」とお悩みの方への解決策にはなってないよなあとも思います。

 

そもそも私がどうやって描いてるかというと、頭の中に「マンガが浮かぶ」んです。
こういうコマ割りで、こういう効果を入れて、絵はこんなふうで……というのが画像で浮かびます。なのでそれを紙に描きだして、調整や修正を繰り返して作品となります。

 

こんなふうなので、頭の中にマンガが浮かばない、浮かんでいない状態の人に向かって伝えられる「マンガを描く方法」を、私は持って、いない。

 

でもそれって全然他人事ではなくて。
なぜなら「頭の中にマンガが浮かばない状態」は私も経験するから。
それは世にいうスランプとかそういうふうに表現される状態なのかもしれません。

 

頭の中にマンガが浮かばない限り、マンガを描こうとしても「無理やり描いたっていうのが伝わってくるようなくそつまんねえマンガ」しか描けず。
ああもう自分は描けなくなったのかなあ、なんて思っているうちに、ある日突然ポンと頭のなかに画像が浮かんで、よかった助かった……!と天に感謝するということを繰り返しております。

 

なぜこの画像が浮かんでくるのかは、よく分かりません。
なので言語化できません。つまりはお伝えできません。

 

ほぼ神頼みなところがあるので、神が自分に「画像」を投げてくれるように祈ったり行いを正したり、受け皿を用意すべくさまざまなことに挑戦したり、新しい場所に行ってみたりしたらいいんじゃないかとは思っています。
(ちなみにここでいう神とは特定宗教の神ではなく、創作の神さま的なそういう曖昧でフワっとしたやつです)

 

以上が、私のマンガの描き方です。

 

あなたの創作の一助になれば幸い!(なるのか?)

月7冊の読書をして圧倒的に突き抜ける私が思う読書バリアフリー

本を読むという行為は、私にとって心身を守る行為であり、武器を得る手段であり、世の中を生きていくために必要不可欠でした。もちろん今もそうです。

 

自分が必要不可欠であると感じているもの。それが読書。
その読書という行為を得られない人がいる、あるいは得るという選択肢がそもそもないという人がいる。というのは、常々うっすらと感じてはいました。

 

ある日、図書館で出会った本がこちら。

 

LLとはスウェーデン語のLättläst(レットレースト)の略語で「やさしく読みやすい」という意味。もともとLLブックという、文字や文章を読むことが苦手な人に向けた本があり、そのマンガ版について研究されたのが上記の本です。

 

そして、こちらが日本初のオリジナルLLマンガです。私が描きました。


図書館で「LLマンガへの招待」を発見し、読み、感動した私は、帰宅してすぐに出版社である樹村房さんへ電話をかけるという暴挙に出ました。
幸い、好意的に迎え入れてくださり、あれよあれよという間に出版が決まりました。ありがとうございます。

 

本を読むことができないというのには種類があって、目が見えない、本が持てないなどの物理面とでも言えばいいのでしょうか、点字本や電子書籍にするなどハード面を変更することで解決が見込めるものが一つ。もう一つは、文字や文章を理解することに困難を感じる場合で、またこちらも文字は読めないけれど音声や補助があれば理解できるものと、知的障害などがあって理解に困難が生じるものがあります。

 

LLマンガは知的障害などがあって従来の表現方法で描かれたマンガを楽しむのは難しい、という方を現時点でのメインターゲットとしています。もっと発展することでさまざまな可能性はあるかと思いますが。まずは、というところですね。

 

芥川賞作家の市川沙央さんのご活躍により「読書バリアフリー」という言葉が以前よりは広く世の中に認知されるようになりました。
読書というのは素晴らしいものである以上に、ライフラインに近いです。それを一部の人たちだけのものにしておくのは、シンプルに良くないです。

 

今まで読書やマンガを楽しむという経験から弾かれてきた人たちに少しでも楽しんでもらえたら。そんな気持ちでLLマンガを執筆、刊行しました。

 

これからも続々と描いて、本という形にしていけたらと思っています。
がんばります!

自分にお金をかけるという愛情表現

災害が起こったとき、それに配慮して色々自粛したほうがいいのか、役に立つ情報を共有するなどしたほうがいいのか、毎回悩みます。けれども私に出来ることは特にありませんね……とも思うので、特に何もせず、全く話題にしないのもなんだかアレなので触れはしますけど、普段通りにネット活動をするわけです。

 

こんにちは。つしまです。
最近ちょっといい基礎化粧品を購入し、使用しています。
お値段は以前使っていたものと比べるとまあまあお高いです。

 

以前使っていたものに明確な不満があったわけではないんですが、なんとなく漠然と「自分にお金をかけたい」と思ったので、いい感じのコスメカウンターに出向き、丁寧な接客を受けたうえで購入に至りました。

 

「自分にお金をかけたい」という気持ちは、見栄というより自分への愛情から発生したものだと自覚しています。愛情というのは、お金をかけること以外にも方法はたくさんありますが、お金をかけることもまた愛情表現の一つです。

 

自分にお金をかけるというのは自分にエネルギーチャージするイメージです。
愛情とか関心とか「きみにはそれだけの価値があるんだよ」という思いを伝える具体的な方法。逆に言うと「安いから」という理由で買い物をして、安いものばかりを自分に与え過ぎてしまうのは「きみにはそれだけの価値しかないんだよ」と伝えることになってしまうのではないか……。そんなことを考えたり。

 

もちろん、高いものを買いすぎて生活が苦しくなってしまっては本末転倒なので、その辺りは気を付けるべきなんですが。

 

でも、できる範囲で自分にいいものを買ってあげるというのは、自分を大切にする行動の一つではあるので。

 

この世にただ一人しかいない、自分にとって最高に特別な存在である自分に愛情をかけていきましょう。

 

自分を大切に。

 

津島つしま

生きるのが下手なんじゃない、生活が下手なんだ

若いころ、自分は生きるのが下手だと思っていた。生きるのに向いてなくて、だからこんなにツラいんだと。だから早く生きるのをやめたいなあと。

 

こんにちは、つしまです。
今では元気に毎日ごはんを作って、たくさん食べて、たくましく育っています。
土鍋で炊いたごはんって美味しいですよね。

 

自分は生きるのが下手だと思っている人って、昔の私以外にもいると思うんです。
そんな方々に、特に昔の私にこう言いたい。
「あなたは生きるのが下手なんじゃない、生活が下手なんだ」と。

 

「生きるのが下手」だと抽象的すぎてなにを改善したらいいか分からなくて詰みます。でも「生活が下手」ならわりと具体的なので、とっかかりが見つかります。あなたが苦手なのは片付けですか、食事の準備ですか、休憩することですか、眠ることですか。

 

それらを改善するのは一朝一夕では済みませんが、とにかくやれることは見つかったわけです。生活をしましょう。生活とは生きる活動です。
真面目に取り組んでいるうちにゆっくりゆっくり状況は良くなっていくでしょう。

 

生活が上手とは言えなくても、まあそこそこ平穏に暮らせるようになれば、希死念慮はずいぶん大人しくなります(経験談

 

抽象的なことを前にぐるぐるぐるぐる悩むより、具体的に動きましょう。
具体的に動けないほど弱っているなら、寝てください。
こんなブログを読んでないで、スマホを遠くに放り投げた上で、休んでください。

 

自分を大切に。

 

津島つしま

心の質を上げて質の高い作品を生み出す

誰かに伝えたいと思ったことを、伝えないほうがトラブルがないからと黙ることを覚えて、当たり障りのない言葉ばかりを並べていく作業にうんざりしている。

 

外に発する言葉を削ってばかりいると、同時に自分の内面にある言葉も削れていくような気がする。それは創作をする人間としては致命的なんじゃないかなあ。

 

こんにちは。津島つしまと申します。
漫画家です。代表作は「夫は実は女性でした」(講談社)。
昨年は樹村房からLLマンガ「つたえたい きもち」を刊行しました。

 

これからもどんどん漫画を描いて、続々と本を出していきたい。
そんなふうに考えているので、自分の内面にある創作の泉を豊かにすることに対しては貪欲です。いいものを描きたい。面白く、質の高いものを。

 

質の高い作品をつくるためには、自分自身の心の質を上げていくことが必要なんだろうと考えています。そして心の質を上げるためには、自分を大切に、人にやさしく、真面目に生活をして、勉強をたくさんする。
多少の青臭さも必要かな。

 

ブログなんて今更はじめてどうなるんだという気持ちもある。
黙ってたほうがかっこいいんじゃない?
漫画家なんだから漫画で表現しろよ?
人の気分を害するかもよ?
ムダじゃない?

 

でも、いま、はじめたいんだから仕方ないよな。

 

自分を大切に。

 

津島つしま