発達障害があると思い詰めると人生の足を引っ張る

自分を発達障害者だと思いすぎないほうがいいという話をします。

 

自分の障害特性の自覚は大切であることは前提のうえ、「自分には発達障害があるんだ…」「障害者なんだ…」などと思い詰めない方が人生が捗ります。
というか、思い詰めるとその思考が人生の足を引っ張ります。

 

発達障害者および障害者であること自体は、ただの状態です。
こういう特性があって、それが障害だと国から認定されてます。というだけ。

 

障害があるから劣っているとか。
可哀相な存在であるとか。
そういうのは端的に言えば差別ですし、思い込みというか、イメージというか。
たしかに助けが必要な場面は多いかもしれませんが、それは社会の状態が健常者優先のつくりになっているからであって、例えば目の見えない状態が健常の社会だったら目の見える人は非常に不自由な環境に置かれて助けが必要になるでしょう。どっちが多数派か、社会がどういうつくりになっているかで障害の有無も変わるわけです。

 

当事者が気にするべきは「障害だと国から認定されて云々」のところではなく、「自分の特性はどういうものだろうか」です。
ひとまず現在の社会では、自分は発達障害者だと認定されている。そういった状況のなかでうまくやっていくにはどうしたらいいだろう?→まずは現状把握だ!てなもんです。

 

自分は何が苦手で、何が得意で、どういうことを避けて、どの能力を武器とするのか。そういったことを考え抜いて生きていく必要があるわけですから、自己憐憫に浸って思い詰めている場合ではありませんね。
ちなみにこういう考え方は、障害者認定はされていないグレーゾーンの方にとっても有用なんじゃないでしょうか。認定されてるされてないは置いといて、自分の特性を把握して上手いことやっていく方法を考えるというのは、多くの人にとって必要とされるスタンスでしょう。


正体不明の「ふつう」に沿って生きていくよりは、ね。

 

自分を大切に。